見あった部活が存在しない。だからなんなんだ。

今週のお題「部活動」

はっきり言おう。私は今、部活に入っていない。

運動部に対するある恐怖から、運動部には入れない。いわゆる、トラウマ、だ。

では文化部は? という質問に対して、答えは『微妙』だ。

私が進学した県立高校には商業科関係が二科ある。そのため、文化部にも『簿記・珠算部』や『商業研究部』といった部がある。

しかし私は大学進学を進路として希望している。これからすぐ働く・・・・・・というわけではないのだ。となると、商業関係の部ははっきりいって『どうでもいい』のだ。

そんな私が今悩みに悩んでいる部がある。演劇部だ。

将来の夢が作家、という私は、部活動見学の際、ある質問をした。

――脚本は誰が決めるのか――

回答はこうだ。元から存在する演目から選んだり、メンバー間で自作するのだという。

なるほど性にあってそうだ、と思うなかれ。

この演劇部、女子しかいないのだ。いや、正確には男子もいるが、先輩でただ一人。

私は女子間に入ることには躊躇いや嫌気というのはない。寧ろ一種の交流だ。

運動部。大抵が『男子~部』や『女子~部』と分かれている。その点、文化部というのは、男女間の壁が存在しない。となれば、かなりのコミュニティ能力・・・・・・『コミュ力』が身に付くのだ。

運動部のいいところを挙げればいくらでもある。好きなことに打ち込める、体力向上、精神強化・・・・・・。挙げ出したらきりがない。

ではこれらは文化部では手に入らないか。というと答えは『NO』だ。

既述の演劇部もさることながら、吹奏楽部がいい例だろうか。

演劇と吹奏楽は、練習がある。演劇は演目、吹奏楽は楽曲だ。演劇は声を出す。はっきりとした声と機敏な動きのためのトレーニングは必須である。そして吹奏楽は、金楽器なら肺活量、打楽器なら腕力が必要だ。そしてどれも最終的には大衆の前で披露する。メンタルが強化されるのは言わずともだろう。

文化部だからオタクの集まり・・・・・・。いわゆる偏見というものだ。逆に言わせてもらえば、野球オタクでなくても、野球バカ、というのは存在する。

オタクとバカ。どっちがいいか、といえば、私はバカでいたい。

偏見を持たれるなら、私はバカがいい。ただただ熱中できることにひたすらやりこみたい。

野球で例で挙げたものでいおう。

野球オタク。イメージは、マイナー選手を知っていて、ねちねち試合の自己解説をする。でも自分は野球はやらない

野球バカ。イメージは、自らが野球をしていて、プロを真似する。からだがボロボロになっても必死に野球をやる、熱血漢。

どうだ。イメージはバカがいい。オタクとは言われたくない。

逆にオタクこそが偏見だ、と思った方。『マニア』ならどうだ。

言い方で世界は変わる。言い方で世界が変わるなら、やり方で変わる。

運動部、文化部、どちらがあるだろうか。運動は趣味の範囲内でやりたいと思ったら文化部を薦めよう。汗を流して青春を謳歌したいと思ったら運動部を薦めよう。

なんでもいいんだ。経験だ。

私は実はバドミントン部だった。合わずに1日で変更届を出した。

部活を転々したってよいはずだ。部活は自分探しだ。自分にあった部活を見つけたら、それは自分に眠る『新たな自分』の発見なのだ。自分を見つけたら、それは生き甲斐なのだ。

最後にどうでもいいことだが、私は部活には入っていないが、生徒会にはいった。今、私はそれを生き甲斐だと感じている。


部活探しは自分探し、そして自分探しは生き甲斐探し。つまり部活探しは生き甲斐探しだ。

ではこれから生き甲斐を探してくる。見つかることを祈って。